ドレスドアンドレスド(DRESSEDUNDRESSED)の2023年春夏コレクションが発表されたビデオプレゼンテーションの音楽は、2022年秋冬に続いて、ダムタイプの音楽と音響を担当してきた山中透による
ヴァルネラブルなこの存在
「たとえこの身が泥の塊となりはてても、なにひとつ穢さずにいたい」──20世紀前半を生きたフランスの哲学者シモーヌヴェイユの没後、そのカイエ(雑記帳)から編まれた『重力と恩寵』にある一節であるここでこのアフォリズムに註釈を加えることはしないただ、痛切さを湛えたこの純粋な響き、弱さの底に降りるこの内省を、今季のドレスドアンドレスドのふるえるような繊細さに重ねあわせたいのである
「LOVERS #2」と題された今季は、ダムタイプ古橋悌二の遺作《LOVERS》からとった2022年秋冬のテーマを引き継ぐものだといえるコレクションピースは、だから、螺旋階段を降りるようにして先季の研ぎ澄まされた雰囲気を深めてゆく高級なウールカシミヤを用いた、ショールカラーやノッチドラペルのシングルブレストジャケット、ピークドラペルで仕上げたダブルブレストジャケットやマキシコートあるいはコットンポプリンやキュプラのシャツほのかに上品な光沢を帯びたテーラリングはブラックやダークグレーで、ドレッシーなシャツはホワイトで仕上げるなど、無彩色があくまで抑制された雰囲気を織りなしている
先季のテーラリングが、シャツカラーやカフスを重ねてトロンプルイユのデザインを加えたのならば、今季はそうしたわずかな装飾性すら厳しく抑制する洗練されたカッティングが生むシャープな佇まいを、静かに、抑制されたかたちで際立て、ただシルクのタイが、伝統的なタキシードのラペルの光沢をうつし取るかのようにして、きらめきを流れるような形へと留めおく
ソリッドな性格を有するテーラリングが、不確かでやまないこの自分という存在の輪郭をかろうじてなぞるものであることは、以前にふれたそれほどに自己の輪郭は、脆く、傷つきやすい身体はヴァルネラブル(vulnerable)だドルガバ ベルト コピー 270すると、一面に言葉を散りばめたシアートップスは、タイトなフィットで身体に重なり、しかしその下に素肌を透けて見せるというように、不確かな自己の輪郭を薄皮1枚で具現化するそれはほとんど、ヴァルネラブルな自分を剥き出しにすること、傷つきやすい自分を確かに受け止めること、何よりも自分という弱さの底へと降りてゆくことにほかなるまい
だから翻ってテーラリングにあっても、それは純然たる屈強さではありえない静謐に抑制された装飾性と色調のもと、あくまで研ぎ澄まされた繊細さを示しているそして繊細さこそ、ヴァルネラブルであることを言い換えた言葉ではなかろうか傷つきやすさとは、張り詰めた表皮の感覚でもって、刺激に対して繊細に応じる鋭敏な感受性でもあろうだから、弱さを覆って強くあることは、絶対的ではないヴェイユの痛切な純粋さが響きあうのは、この弱さの底においてである
ヴァルネラブルであることは、他者も同様にヴァルネラブルな存在でありうる以上、自己ならぬ者の時間に寄り添うことも要請する今季のビデオプレゼンテーションでは、暗闇のなか、背を向けて接したふたりが離れ、走り抜け、そして互いに向きあう姿が、山中透による静謐な音楽とともに展開される20分に及ぶ映像は、しかし、一見動きを示さないスローモーションのように引き伸ばされた映像と音楽、その深く長い呼吸の律動に、あくまで自らを委ねねばならないドルチェ バッグ コピー他者の内的な時間の律動を自らのそれと合わせようとする性急さ──それはある種の暴力だといえる──から離れて、この映像と音楽は、ヴァルネラブルな繊細さを訴えかけるように思う